人にはつまずく権利がある
こんにちは、さなです。
7月に入りましたね。
本日すでに9日ですので、
無事に未月に突入し、月の天中殺も残すところ一か月を切りました。
・・・切ったところで年の天中殺はまだまだ長いですからねぇ・・・((+_+))
ま、元気出して行きましょう!
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さて、タイトルにさせて頂きましたお言葉ですが。

こちらの書の中に出てくる言葉です。
大好きな江原啓之さんの最新書。
ただのスピリチュアル本と侮るなかれ(畏れ多くも)
これは歴然たる学問書です。
このような世界がしっかりとわかっていらっしゃる方が
渾身を込めて世に残そうと書いてくださった書であります。
以前「シルバーバーチの霊訓」や「スピリチュアリズム通信」などを読んだ際、
”彼の世のことをここまで研究して伝えようとなさっている方がいるのだなぁ”と
背筋が伸びる思いがしたものです。
巷によくあるふわっふわした軽めのスピとは雲泥の差です。
この時「本物と偽物」を見分ける知恵を授かったと言ってもよいでしょう。
私は所謂「見える聞こえる」能力は持っていませんのでね、
以前は「見える聞こえる」人というだけで
「すごーい!」と崇め奉ってしまうきらいがあったんですが、
きちんと学べば学ぶほどに、
ただやみくもに「見える人=すごい」訳でもなく
「当てる人=すごい人」でもない事に気づくわけですよね。
人にはつまずく権利がある
この言葉は算命学にも通じるものがあります。
もうひとつ、
「人助けは罪にもなる」という言葉もある意味同義です。
世間一般には「人助けは良いこと」とされていますよね。
確かに困っている人に手を差し伸べることは悪いことではありません。
逆に困っている人がいるのにシカトして通り過ぎれば
「この薄情者がっ!」となったりしますんでね。
そのような咄嗟の場面はここでは置いときまして、
ちょっと算命学の視点からこの問題に切り込みましょうか。
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これは特に子育てに於いてありがちなのですが
良くも悪くも算命学というものを知っていると、
我が子の進む道についつい口を挟みたくなるものです。
子どもが自身の宿命にちょっと外れた方向に進みたいと言っている
そっちはあなたには合わない!
あなたにはこちらの道が持って生まれた宿命に合っている!
こちらのほうが断然運勢が上がるはず!苦労が少ないはず!
・・・となれば後者に進んで欲しいのが親心です。
気持ちは分かります。私も親ですから。
そっちにいけば苦労が絶えないだろう。
我が子には苦労せず平穏な人生を歩んで欲しい。
そりゃそう。そりゃそうよね。だれでもそう願います。
だがしかし、です。
その子が「どうしてもこっちの道で挑戦したい、やってみたい!」という事というのは
魂の学びとなることが往々にしてあるということです。
「やりたいことを親に止められて出来なかった」という思いは、
魂の禍根として次の人生に先送りされることになります。
それが自分に合っていなかったのだと「自分で納得すること」が大切です。
人生に無駄はありません。
いくらそれで時間を費やしたとて、
その経験がその人の大切な学びとなって先の人生の糧となります。
まさに「可愛い子には旅」をさせるべきなんですよね。
算命学鑑定士には「自分の家族の宿命を見るな」という教えがあります。
それは知ってしまうと色々と口を出したくなるから。
身内ではなくとも、
その人が敢えて「つまずくだろう」と分かってはいても
敢えて口を出さずに見守る・・・
このことこそがその方の魂の修業を邪魔しない行動でもある、と言えます。
鑑定士として人様の鑑定に当たる時も、
ちょっと釘を刺しとくぐらいで「敢えて行く先を止めない」ことはあります。
「一回この人はちょいと転んだ方がええやろ」という時とかね(笑)注)意地悪ではないです
まぁ大体人間というものはですね、
上手くいっている時ほど怖いですからね。
いくら釘を刺したところで調子に乗るもんでしてね。
やらかした後で気づくんですよ。
しかしながら
その「気づく」ことが大切なんです。
そこで痛手を喰らって学んだことが人生の宝となります。

先週、今年初の伊勢神宮参拝に出かけてきました。
雨上がりの神宮の杜は大変清々しく気持ち良く、
心身ともに浄化されて帰宅しました。
これで今年の後半も頑張れそうです!

