算命学を「宿命」だけで捉えない見方もある。

こんにちは、さなです。

先日、久しぶりに師匠の事務所で勉強会でした。
常に一人で算命学に向き合っていると結構な孤独感です。
今の現在地から更に高みを目指したい欲に駆られた時、
インターネットがない時代の方々はどのようにお勉強を進められていたのでしょうか・・・
私なんかすぐにググってしまうというのに(爆)
いや、ググったところで算命学の知識というものは
そんなに簡単に深い解釈が出てくるはずもなく、
今以上の叡智を求めてありとあらゆる検索をかけてみるのだけど
なーんもひっかかりゃしない(それはひとえに検索ワードの語彙力のなさ)

あ~ぁ(/o\)

しゃあないのでこの渇望感にまかせて古書のサイトに飛び
算命学関連の書籍を漁るのだけど、
「おぉ!!!」というシロモノを見つけたところで高額過ぎて手が出ず
さらに悶々とする繰り返し。

色々と検索をかけていたら「定則法」というのに辿り着いた。

その定則法とやらをブログに挙げている鑑定士の方の記事を拝見したら、
(あー、これは以前師匠にちょっと聞いたことがあるやつだ)となり
聞いたことはあるけどちゃんと教えてもらってないじゃん・・・となり
師匠に「定則法教えてください」と勉強会のリクエストをしたのね。

聞けば算命学でも「奥義」なのだというのだけど、
「その奥義を軽々しくブログに挙げている方がいらっしゃいますけど良いんですか?」
と聞いたらば、
「ま、世に出てるんならお伝えしても良いでしょう」ということで
勉強会の運びとなったわけです。奥義の意味・・・(;^_^A
いや、何が奥義かってこの幾つもある文言の解釈の部分が奥義なのだよ。
算命学たる学問の何が凄いかって
「何故こうなるのか?」の理論がちゃんとあるところなんだよ!
流石にその方もここまではブログにしたためていなかったわ。
いや~、実に面白い勉強会でした。
一日では終わりませんでしたのでもう一回馳せ参じようと思うとります。

この定則法、宿命を見て「あなたはこうだからこうなりますよ」ではなく
「こういうことしたらこのような事になります」的な。
算命学は自然の法則を学ぶ学問。これもまた自然界の無情を感じる勉強でした。
人間ってのは所詮、自然の掌の上でしか生きられず、
逆らって生きれば淘汰を受けるわけで
自然界が人間を必要としなくなれば人間は存在すらできなくなり・・・

あぁ無情(/o\)

人間は自然の前では実に無力です。

♢♦♢♦♢♦♢♦

算命学には、個々人の生年月日を見ずとも
運勢の法則みたいなものがありましてね。
これは宿命とは異なるものということです。

鑑定にはもちろん、知識と技術的なものが必要ではありますが、
私が今それを上回るレベルでどっぷりと浸かりたいのが「思想」の部分なのよねぇ。
算命学が当たるとか当たってないとかは最初からどうでもよくて(言い方が乱暴ですけど)
人間とはどう生きるか?の東洋思想的な世界観に浸っていたいわけでしてね。

例えて言うなら
ひんやり冷た~い湖の湖面にプカプカ浮いて
「生きるとは」
「死ぬとは」
「人間とは」
「自然界とは」
「宇宙とは」
みたいなことを延々と繰り返し問いながら湖に体を浸しておきたい欲望・・・
(さすが調舒星が回っている年だけのことはあるね)

鑑定を研ぎ澄ませたいが故に占技の習得に躍起になった時もあったのだけど、
天中殺に入った途端、やけに哲学的になっていることに気づいた。
そして算命学を勉強し始めた当初に片っ端から買い漁った書籍を
今一度一冊ずつ読み進めている日々ですが、

買ってすぐ読んでみた当時と
ひとしきり勉強した後に読んでいる今とでは理解度が格段に違うのよこれが。
高尾宗家は言うに及ばず、
安岡正篤先生や清野芝香先生の書が本当に素晴らしいです。

こういう事よね、螺旋状に上がっていくという事は。
算命学のような学問の勉強の仕方ってこれに尽きる。

とりあえず、
せっかく調舒星が回る一年なので大いに引きこもって楽しもうと思っています。

先日お昼ご飯に目玉焼きを作ろうと玉子を割ったら、
なんとツインでした✨✨

綺麗な双子ちゃんヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
何だか得した気分でした。
良いことありそうな予感です♪