若い時の寄り道や宿命の「逸れ」は、人生のスパイスぞ。
こんにちは、さなです。
11月に入りました。
今日は冷たい雨が降る気温の低い一日になりましたが、
地元の古民家を解放していらっしゃるお宅で、
ランチを頂けると言うので行ってまいりました。
どれも本当に美味しかったです( *´艸`)
ごちそうさまでした。
地元で採れる素材を使った
シンプルでいて色とりどりの味付けのお料理。
「これ、こんな風にアレンジできるのね」と言う驚きや
まさかの素材がまさかの仕上がりになると言う驚き。
お料理の世界にも当然のことながら「星」は影響するけれど、
この方の命式を再びまじまじと拝見するに
「何処をどうみても明らかなる《食》の要素がない」ことに
私の龍高星が掻き立てられます。←変なところで搔き立てられるのよね
うーん
なんでや?
この食の才能はどこから来てるんや?!
・・・ってなるよね。
よくよく見ればうっすらと蔵干から出ているけれど、
陽占に表出している訳でもなく
後天運にも出ておらず。
だがしかし
視野を広げてみてみれば必ずヒントとなることは
命式の中に隠れているものでありましてね。
あ、なーる!
ここをこう活かしている先にこれが稼働しての
今がある訳だ―――!みたいな。
そうそう、
全く自分の宿命に合わない事を延々と続けていれば、
ある時ふと「違うな、これ」と言う感覚に陥るもの。
或いは天からのお知らせ現象がドカンと来て方向変換を迫られる。
彼女の食に対する姿勢を見させて頂く限り、
それは微塵も感じることが出来ず
「楽しくって嬉しくって」99%その世界観である。
すごいなー。
「自分の陽占にない才能」に着手する(したい)場合、
良いのか悪いのかと聞かれたら
それはもちろん「No」ではありません。
余程のリスクが伴わない限り、
私は「やってみたらどうかな?」と背中を押しています。
*もちろん時期やその方の宿命などは大切ですので十二分に考慮しますが。
「どうしてもやってみたいこと」と言うのは
その要素を持たない星ばかりだったとしても
「その方の運勢上、必要な通過点」であることもあり、
必要な試練であったり修行の期間であったりします。
自分で「気づく」ことも大切です。
そういう意味で、
あまりきっちりと宿命通りに生きなければ!となることはない。
それが若ければ若いほど、ということ。
年とってきたらもぅやめた方が良いよ~そういうのは。
ていうか
順調に人生を送ってきた人だったらわかってくるものなのよ。
「これちゃうな」って。
若い時には寄り道も人生の大切なスパイスになる、
と言うお話でした。