神田沙也加ちゃん

クリスマスも終わり、
新年に向けて、気忙しい年末がやってきますね。

 

こんにちは、さなです。

耳を疑う訃報が飛び込んできて、早くも一週間が経ちます。

神田沙也加ちゃん。
享年は35歳という若さでした。

算命学ブログのサイトですが、
今回はブログ上で彼女の鑑定をする記事ではありません。

それがお目当てでお越しいただいた方はごめんなさいね。
私なりの、神田沙也加ちゃんに対する想い
…みたいなものを僭越ながら書かせて頂こうと思った次第です。

 

沙也加ちゃんの母親である、松田聖子さん。
私はガッツリ聖子ちゃん世代です。

聖子ちゃんの曲とともに青春時代を謳歌し、
聖子ちゃんが髪型を変える度に美容院に走っていました。

神田正輝さんとの結婚式は【聖輝(せいき)の結婚式】なんて言われ…
披露宴がTV生中継、豪華を極めた衣装や演出など
まさに昭和のビッグスターの世紀の結婚式でしたっけ。

私はお二人が結婚式を挙げたのと同じ年に結婚式を挙げて、
沙也加ちゃんが産まれて約半年後に、私も娘を出産しました。
そこですら、聖子ちゃんを追っかけてた(笑)

娘がお腹にいる時に愛読していた妊娠出産雑誌【P-and】(ピーアンド)には、
同じように妊娠期間を経て出産し、
沙也加ちゃんを育てている聖子ちゃんが毎月エッセイを書いていました。

大好きな聖子ちゃんが、
妊娠・出産・子育てと言う同じ時を過ごしていると言う親近感。

なんだか幸せだったな~( *´艸`)

聖子ちゃんの退院会見は本当に凄かったね。
当時を知る人なら覚えていると思うけど、凄まじかった。

「沙也加」と名付けられたお二人の赤ちゃんの名前は、
言うまでもなく大人気となり

この【沙】のついた女の子の名前がね、
そりゃもぅ流行った。

私ももちろん付けましたよ、えぇ。
大好きな聖子ちゃんの娘の名前、絶対頂こうと思ってましたから。
ただ、まんま「さやか」とつけるのでは龍高星の私らしくありませんのでね、
(そこで出るか笑)
【沙】だけ頂きました。
そして娘の同級生には、この【沙】がつくお名前の女子が多かったですよ。

沙也加ちゃんはある意味娘を見るような思いで、
デビューした時はドキドキしながら母のような気持ちで

《ザ・ベストテン》に沙也加ちゃんと親子で出演した時の聖子ちゃんは
我を忘れたかのように、母親の顔になってたのが印象的だった。

どんな時も【松田聖子】を忘れない人なのに、
沙也加ちゃんを心配そうに見つめるその顔が、無防備な母親の顔だったことが
今も忘れられない。

 

無言の愛娘の冷たくなった頬に何度も自分の頬をすり寄せ、

覆いかぶさるように両手で何度も撫でながら泣き叫ぶ母親の姿は

「筆舌に尽くし難い、これまで見たことのない聖子さんの姿だった」という。

ヤフーニュースより抜粋(2021・12・25)

 

どれだけの母娘の確執があろうと、
娘を思う母親の愛に変わりはない。

これからこの十字架を背負って生きていかねばならない聖子さんと正輝さん。
同じ親として、文字に起さなくても「筆舌に尽くしがたい」ではないか…。

沙也加ちゃんが持つ繊細な星は、
エンターテインメントの世界では光り輝く才能の星となります。

それと同時に、
とても純粋で素直でピュアな人。

その清らかさ(真っすぐさ)ゆえに、
ストイックなほどの完璧さを求める。

沙也加ちゃんの歌を初めて聞いた時、

「なんて繊細で透明感のある歌声なんだろう」と感嘆しました。
母親である聖子さんとは真逆の透明感でした。

こうして母親と比較されることが何よりも嫌だったよね、きっと。

沙也加ちゃんは沙也加ちゃんだった。
弛まない努力をして、「神田沙也加」と言うスターとしての地位を確立した。
この才能溢れる女優さんの演技と歌声がもう聞けなくなることは
本当に寂しい…

 

「サーヤ」
産院を退院する直前、
病院の屋上で沙也加ちゃんを報道陣に初披露した時、
おくるみで胸に抱かれた沙也加ちゃんに、聖子さんが言った一言。

「さやか」じゃなくて「サーヤ」

 

薄いピンク色の位牌を抱いた聖子さんの姿に、
愛娘の遺骨を抱いた神田正輝さんの姿に、
胸が潰れそうだった…

 

今はただただ、ご冥福をお祈りいたします。

そして、ご両親に少しでも心の平穏がありますよう
ひたすら祈らせていただきます…。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です