人間は決して一人で生きているのではない
こんにちは、さなです。
本日12月31日です。
毎年大晦日はご先祖様のお墓参りに行きます。
我が家のお墓は自宅から歩いて12~3分の距離にありますので、
そもそも大晦日じゃなくても行こうと思えばいつでも行ける距離。
なのに親不孝の私はあんまり行ってなくて(;’∀’)
ごめんなさいお父様m(_ _)m、という感じです。
地元にある墓地の中でも、
うちの家系のご先祖様が眠る一列(結構な場所取ってます)は
相当に古く、
何代も前の苔むした墓石がいくつか並んでる・・・
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算命学を勉強し出してから、
私は自分の実家の家系図を作りたいとずっと思ってきたのだけれど、
来年は自分も東方律音のタイミングを迎えて
今まで温めてきたその思いを形にしてみようかな、と思っています。
私の実家の家系はその昔、
この辺りの部落を取り仕切っていた庄屋であったと亡くなった父から聞きました。
何代か前のご先祖様が大層お人よしの善人だったらしく、
貧しい村民に次々土地を分け与えているうちに自分がビンボーになっちゃったらしいのね。
(どの程度のビンボーかはよく分かりませんが)
祖父の代からの建設業は父の兄(伯父)が引き継いだのですが
業績が上がって来た時、手を広げ過ぎたため倒産。
伯父と仕事を共にしていた父はその10年ほど前に独立して別の会社を設立、
兄弟共倒れの危機を免れました。
あの時父が独立していなかったら、と思うと今の私はありません。
考えただけで背筋が凍ります。
そしてその時手放さざるを得なかった立派な本家は現在取り壊され、
何十年も前から売りに出されているのですが全く人手に渡らず・・・
広大な土地だけが異様に残っている状態です。
何で何十年も売れないの?
こんなに良い立地なのに何で??
実家の墓地に行く道すがらにあるその空き地を見る度に思います。
私の父は5人兄弟でしてね、
上の三人が女、下二人が男。家の父は末っ子の次男坊です。
不思議なことに
一番上の伯母➡子供なし
二番目の伯母➡女の子三人
三番目の伯母➡子供なし
四番目長男(伯父)➡女の子2人・男の子2人
五番目次男(父)➡女の子二人
そして唯一の跡取りが生まれた伯父の会社が倒産。
で、100年以上続いた由緒ある家屋を手放さなければいけなくなった・・・
我が家の父は次男坊ということで、
結婚した時に現在居住している土地を分けてもらっている。
が、何事もなく無事である。
これは一体何を意味するのか。
考えてみた。
細かいことは端折りますが、
色々な要素(父親の命式や子供である私と妹の命式)を鑑みると、
どうも神は「ここらで家系を一旦終わらせてくれんか?」と仰っているようです。
これは私か妹が男子だったならば状況は確実に変わっていたでしょうし
我が家の跡取りたる子供が二人とも女子であったことは不幸中の幸いとも言える。
何故かと言うと、これは父親の命式にちゃんとそう出ているから。
そして私も妹も「午未天中殺」で家系の最後を締めくくるお役目。
最初は「天庫星」を持っている妹が実家を継ぐのかな、と思っていたけれど
つい4年前に長男のところに嫁に行き、その後私が再び実家に舞い戻りました。
あ。やっぱり私だったのね。
結婚しても本当に婚家に馴染めず違和感しかなく過ごした30余年。
実家に戻って「なるほどね」とも思った。リターンが何故か腹に落ちた。
古い家系の末裔に生まれやすい命式を持ち、更に午未天中殺の私にはきっと
特別な任務が課せられているに違いないと
最近はよく思うのであります。
でなければ何故このタイミングで算命学に出会うのだ・・・とも思う。
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伯父の失脚の後、
私の父は大運二旬目までの壮絶な苦しい時代を超えて大きく飛躍しました。
兄弟と言うのはどちらかが「陽」を生きればどちらかが「陰」を生きることとなりやすいもの。
その活躍の陰に隠れたものを決してないがしろにしてこなかった私の母は
もしかすると人の命運と言うものを潜在的に解っていたのかも知れません。
父の飛躍は伯父が失脚するという現象によって支えられていたとも言えます。
脈々と続く家系と
同じ時代を生きる家族と
人の「運」というものは
ひとりの力でできているのではないのだなぁ…と感慨深く致すところがあり
未だ誰の手にも渡っていない本家の土地を見るにつけ
ご先祖様の声を聴く(家系図を作る)使命を痛感する今日この頃です。
年の最終日にあたり、
ちょっと小難しい内容になりましたが・・・
皆さまも機会があれば
ご先祖様に思いを馳せてみると新しい発見があるやも知れませんよ。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
2023年も良き年でありますように・・・✨✨