この世の光と影(もっと言えば人生におけるそれ)の話。

こんにちは、さなです。

 

今月は有難いことに
お茶会のご要望が多くてですね、

至る所で開催させて頂きました。
会場を提供してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
感謝申し上げます。
算命学の凄さ、面白さを体感して頂けて
こちらもとても嬉しく思います。

ネタがあればどんだけでも喋れます(`・ω・´)b
ネタがなくても算命学のことなら永遠に喋れます(`・ω・´)b
算命学の事が知りたーい!って人は、
是非お茶会にご参加くださいませ。
HPの「information(最新情報)」に随時告知していきます。

♢♦♢♦♢♢♦♢♦♢

今日も前置きが長くなりました。

さて。

この世の中は「陰と陽」で成り立ちます。
陰があれば必ず陽があり、
物事には全て裏と表があります。

どんなものにも。
どんな人にも、です。

どちらも同等で
良い悪いではありません。

全体を「一極」として捉え、
それは「陰」と「陽」の「二元」から構成されると考えます。
一極二元論と言います)

二つを分けて考えるのではなく、
ある「一極」の存在に対して陰と陽の両面があるということ。

例えば人間。
人間は男と女ですね。
これはどちらも同等の価値があり、
どちらかが優れていてどちらかが劣っているという訳ではありません。
そしてそのどちらが欠けても存在できません。

これを運というものに置き換えてみましょう。

「陽」の人生ばかりの人はいません。
陽の人生を「世の中で活躍でき大いに人生を謳歌できる」時とすれば
陰の人生を「活躍する側を支える、自分は表に出ない」時とします。

人の人生とは、この陰と陽の螺旋です。
端的に言えば「良い時」と「悪い時」みたいなもの。
自分が活躍できている時というのは楽しいし充実しています。
自分が活躍できなくて暗中模索の時と言うのはイライラしたり悩んだりしますね。
人間の人生と言うものは
このように陰と陽を繰り返しながら次元を上げて(成長して)行くものです。

生まれてから死ぬまでずっと「陽」の人がいないのと同様に、
ずっと「陰」の人もいないはず。
両方あっての人生です。
良い時ばかりでは人は成長できません。
「そんな事ないだろう、ずっと仕事も家庭も上手くいっていて子供は利発で可愛くて
いつも幸せそうで何も悪いことなどない人だっているよ」と思いましたか?

世の中をよく見てみてください。
華やかに活躍している人は一見全てが上手くいっているように見えますが、
その陰には必ず「陰」の部分を抱えているものなのです。
そこが傍から見えないだけで。
安易に人を羨んではいけない理由がここにあります。

そして
その放つ「陽」の光が眩いほどに「闇」の部分は深いもので、
華々しく大成功している人の陰には
必ず陰日向となり支えてくれている人物がいます。
ある意味、それは犠牲を伴います。

華々しく脚光を浴びている側は、
その犠牲を払っている影の存在をないがしろにしてはいけません。
陰の部分を担ってくれているものあればこその自分である、という
謙虚な気持ちが大切です。

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人生のバイオリズムに抑揚があるのはごく自然の事です。
自分の内面に向かう運勢の時、
鑑定にお越しくださる皆さんは少なからずちょっとトーンダウンなさいます。

まぁ当然です。
頑張っても空回りしたり逆に手痛い事になったりするわけですから。
しかし、
この抑揚あっての人生なのだと思ってください。

何の落ち度もない、
何処から見ても完璧、
人間性も申し分ない、
世界的な大活躍、
人としての最高の幸せまで手に入れて、

非の打ち所のない「あの人」だからこそ、
「闇」は大きかったのです。
そして青天の霹靂の如く、
大きい衝撃波となります。

その「闇」を乗り越えてこそ、
人間としてまた更に次元を上げていくことが出来る・・・。

彼にとっては大きな大きな人生の転換期となるのでしょう。
(誰の事かは言わずもがな、ですね)

今、苦しい思いをしている方も
必ずそれが報われる時が来ます。
ある意味その苦しみは「魂の成長」を促されているのだと思いましょう。

陰の後には必ず陽が来ます✨

今自分が出来る事の精一杯を頑張って、
変化する時を待ちましょうね。

ウォーキングコースのつつじが、
今年も満開です。

キレイなピンクに心躍ります。

春は色とりどりのお花が咲き乱れ
新緑が実に綺麗で大好きな季節なのですが・・・

実は春は大の苦手です。
これも宿命が「木性過多」のせいでしょう。

早くGWが終わってくれと思っています・・・。
あ~(T_T)

 

 

 

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