残りの人生は、忌神に立ち向かうのみ。

こんにちは、さなです。

 

3月もいよいよ終わりですね。
ぐんと温かくなって今日は暑いぐらいです。

お庭のシャクヤクがここ数日で
ニョキニョキ伸びてきています。

春の陽気のエネルギーは凄いですね⤴⤴

♢♦♢♦♢♢♦♢♦♢

算命学というものを勉強して
命式や運勢などを見ることが出来るようになると
良いのか悪いのか
自分が只今から歩む運勢が手に取るようにわかってきます。

ここで注意ですが
運勢=運命ではありません。

運勢は
その人に訪れるであろう現実の現象(のみ)を読み取るものなので、
それがそのまま運命になる訳ではありません。
現実の現象のみ、と言うところがミソです。
その現象がどのような「気持ち」になるのかは考慮されておりません。

そして運命とは何度も申し上げているように
己で如何様にも変えて行けるものです。

ワタクシ事になりますが
生まれてこのかた60年というもの、
第一第二第三守護神がずっと透干する幸運な大運を生きて参りました。

そしてこの度(去年の12月から)
人生初の「忌神」透干大運に突入しております。

宿命自体が忌神の強い命式ですゆえ、
この長きに渡る守護神大運の恩恵を受けて
苦しいながらも助けられる日々でございましたが

さて
この先の私の人生どうなりますことやら・・・
と戦々恐々としておりましたところの
年明けから体調は崩すわ何やらかんやら
(細かいことは端折りますけど)
ぶつかってくるのよ、忌神がさ。

私にとっての忌神は「水性」でしてね。
人物にすると「母親」です。
五本能では習得本能。
陽占ド真ん中に習得本能の星があるので
影響は大きい。

「あぁ~嫌だわ~嫌だ嫌だ」と言いながら
何かを学び習得していかなければいけない(拷問かよ)

そして
「あぁ~嫌だわ~嫌だ嫌だ」と嘆きながら
母親と対峙していかなければいけない(ものすごいストレス)

忌神も消化せねばならない。
嫌だからと避けて通っていてはいけない。
おまけに私と母の間には宿命に「天殺地冲」があり、
更には私は命式中の日支と年支が「対中」です。

どこまでも母親と反りが合わない。
合うわけがない。

天剋地冲と言うのは精神を壊し、現実を壊し合うという厳しい関係。
特に親子間で成立する場合大きな意味がある。
前世や過去世において出会ったことのない人とは
決して成立しないものです。それこそ相当の因縁がある、と言うこと。

そしてもっと言えばですね
蔵干が3つしかない私にとって
身内の十干は「癸水」のみ。

十二親干法では唯一の身内だと言うのに
この仕打ちですわ(>_<)アー

私はこの母親から
一体何を学ぶために生まれて来たのか。
どんな業を消化せんとして生まれて来たのか。

はぁ・・・”(-“”-)”

背負って生まれたことの意義はきっと深いのであろう。
それは自身の命式を観れば明確である。
母親が好きとか嫌いとか
そういう問題ではない(はっきり嫌いと言えるので笑)
たまに憎しみさえ覚える
余程の因縁があるのであろうか・・・
なのに再び同じ屋根の下に暮らすことになって5年が過ぎる。

天殺地冲が成立する相手と暮らすと言うことは
相当なエネルギーの消耗となります

いやいや、
こんなことにエネルギーを費やしている場合ではないのだ私は!

3か月前に突入した人生の六旬目。
ここにいきなり忌神が立ちはだかる。

忌神に立ち向かい華々しく人生を全うするか
命永らえるために温存して生きるか

その選択肢は自分にあります。

算命学を知ってよかったとつくづく思うのは
この大きな違和感が私にとっての正解だったと知れたこと。

そして
どう生きるかを
与えられた宿命を考察しながら選択していけること

この六旬目の10年間をどう生きるか
もう少し考えてみようと思います。

お庭のシャクヤクです。
今年は大輪の花を咲かせてくれるでしょうか・・・

楽しみです♪

 

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