算命学を学ぶ意義とは?①
こんにちは、さなです。
いきなり堅苦しいテーマで恐れ入ります。
鑑定やお茶会や講座などでこのようなことを
よく聞かれます。
「さなさんは何故算命学を学ぼうと思ったのですか?」
良い質問ですね。
私のお話を聞いて「算命学おもしろっ!」
と思ってくださった方は、
大体がこうお思いになるようで・・・
きっとならば
「私も鑑定を受けておもしろい!って思ったからですよ」
・・・というリターンを期待しているのであろうかと。
そしてその期待を私は全面的に裏切ります(笑)
私は一番最初に算命学と言うものを知り、
自身の鑑定を受けた時、
「・・・・・」
となったんです。
あんまり当たってるって思わなかった。
(ていうか当たらんじゃんこれと思った)
「怖いぐらい当たる」
「鳥肌が立つよ」
こんな予備知識をガンガンに入れられて
個人鑑定に挑んだものですからね、
「草花の人ですね、とっても可愛らしくてまんまですよね」
➡まぁそうかも知れんがそれは見りゃわかるだろう(爆)
「私は雨露だから私に会うと何となくホッとするでしょ?」
➡いや、そんな事はない。むしろ・・・(ピーッ)
「去年体調が凄く悪かったよね?」
➡いえ特別悪くはございませんでした(欠伸)
(そしてその場の雰囲気を壊したくなかったので「はい」と答えました)
などなど。
後々勉強してわかったことは
「鑑定士は聞かれたこと以外のことは喋らない」と言う鉄則。
その当時思い悩んでいたことに対しては
何だか脅されるような事を言われ、
「これどうしてそうなるんですか?」と聞いたら
「最初の知識をすっ飛ばしてそこだけを答えるのは禍になるから」
とお答えしてもらえず(それは今はよく解るが)
個人鑑定だと言うのに
私が持っているものとか
私がどんな人間なのかとか
どう生きて行ったらいいのかとか
そこら辺は全く言ってもらえず
そもそも算命学って当たるって言うけど
どういうものなのか?
そこはぜーんぶすっ飛ばして
私が相談したことにピンポイントにお答をもらっただけで・・・
いや、それでも腑に落ちれば納得できるんだけど
「???」で終わり。
なんやねん、これ。
「いついつまでに〇〇しなきゃこうなりますよ!いいんですか?!」
みたいな言い方されてね、
そ、そうなんですか?
じゃ、じゃあ頑張ってやってみます。
と言って二時間分の結構お高い鑑定料をお支払いし、
・・・で、何だったんだ?算命学って(´ε`;)ウーン…
で終わったのが出逢い。
そしてその「いついつまでに」の「いついつまで」は当に過ぎ、
「こうなりますよ!」はこうならず(爆)
ちょっと今となっては笑っちゃいますが
でもあの出会いが間違いなく、
私を算命学に誘ったということ。
フツーならね(フツーなら)
なんやコレ
当たるだの何だの
ちっとも当たってへんやないかい!
あーもったいな。
もうええわ算命学。
・・・ってなるよね?
こうならないのが変人のワタシ(*‘∀‘)
いや怖いぐらい当たるんでしょ?算命学って。
このわけわかんない漢字をひとつずつ紐解けば、
色んなことが解るんでしょ?
これを最初に私に伝えくれた友人は
会う度に何回も頬を紅潮させて
「本当に凄いんだよ!その通りになるの!怖いぐらいだよ!」
と勉強会のお話を聞かせてくれてね。
そんなに凄いなら一度見てもらいたいと思ったのにこの始末。
いや、これはもはや人に鑑定してもらっている場合ではなく、
自分で勉強して理解しなければダメなんだろう。
これを全部読み解けるようになってやるわ!!!
・・・というね、
まさに胸の龍高星に火が付いたと言うかね🔥🔥
好奇心の塊は猪突猛進となり、
「自分を知りたい」ために始めた算命学の勉強。
点で学んだことが線になり繋がり始めたところで
更に勉強は面白くなり、
手当たり次第に色々な人の命式を見て嬉々とし
「やっぱり算命学ってすごい!」となった。
しかしだ。
算命学は当たるから凄いのか?
何故はずさないのか?
そこに何があるのか?
ここから私たちは何を学び取れるんだ?
数年前から、
そこに思いを馳せるようになった。
そうなの。
そこにこそ算命学の真髄がある。
算命学が我々人間に伝えようとするものが。
お庭のシャクヤクの蕾が、
だいぶ膨らんできました🌸
今年は大輪の花を咲かせてくれますように・・・
続きはまた次回( *´艸`)