合う合わない、好き嫌いは関係ない
こんにちは、さなです。
ちょっと久しぶりの投稿になりました。
もう3月も後半に入りましたね。
三寒四温を繰り返し、どんどん春が旺じてまいります。
さて今日は
算命学で言うところの「守護神」「忌神」についてです。
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鑑定の際にもしかしたら
「あなたの守護神は人物で言うとお父様で~」とか
言われたことがあるかも知れません。
そんな時、どんなリアクション?
「げっ(;^ω^)オトンとは全然気が合わないんだけど」
「え~?お父さんは嫌いなんです~」
みたいなリアクションでしょうか?
基本、ワタクシは鑑定の際に必要であればお伝えしてますし、
お伝えしないこともあります。(もし知りたかったら聞いてね)
この「守護神」というヤツはその方にとってとっても有難い存在となる人物で、
「何かと助けられてる」
「何かと有難い存在」
という解釈です。
そこに「合う・合わない」「好き・嫌い」は関係ありません。
もしご両親が守護神となり得るようでしたら、
あまり疎遠とならない方が良いですよ、ということ。
(但しその方の全体の宿命を見ますので一概には言えません)
では忌神って?となるよね。
気になるところです。
守護神とは相反する意味合いであれば
「有難くないもの」となるのですが・・・
まぁ平たく言えばそうなります。
あのね嫌なのよ、嫌なの。(二重否定かよ)
ホンットにストレス。
何て言うかな~常に試練が与えられるのよ。
常に私の前に立ちはだかるというか
行く手を阻むというか・・・
そう、私にとっての忌神は母親。
そして忌神以上に厳しいのは
この現実界においてぶち壊す最大の関係性が二つも成立してるってこと。
天殺地冲と冲動
天殺地冲は私の日干支と母の月干支
冲動は私の宿命の中の位相法
ここに忌神という要素も入るのね。
しかもめんどくさい事には
私は六親に縁が超薄い人なんだけど、
何故か母親だけが六親法で出るって言う・・・
この矛盾。どうだ。
考えただけですっげぇ葛藤とストレスだろう。え?
(解らない人はすみません)
しかしながら忌神と言えども避けて生きることはしない方が良く、
「忌神も消化しないといけない」のが算命学であり自然の理。
私にとっての忌神は「癸」であり、
十大主星は「龍高星」となります。
これはもぅ
「嫌だ~あ~嫌だ嫌だあ~~嫌だ」と言いながら母と一緒に暮らさねばならんし、
「あ~~もぅぅわかんな~~い」と言いながら苦労して学問を学ばねばならないってこと。
(どんな例えやねん)
でもそれで忌神を消化してることになる訳で
ポジティブに考えれば非常に有難い事というわけです。
で、結局何が言いたいかと言うと
何も知らずに嫌なことから逃げまくっている人生を送ってると
大切な道筋を外してることに気づかずに人生を送ることにも
なりかねませんよ?という事。
もちろん、全部を否定しません。
その「嫌なこと」が宿命から外れてるから「嫌なこと」となって
自分を苦しめているかも知れないですから。
それはわかんない。
でも気分的にはすっごく楽になる。
「あー私、今すっごい忌神を消化中。ありがとうお母様✨」
って考えられるから(笑)
でもマジでホント一緒にいるとダメージ大きいのよねぇ
うちのオカン”(-“”-)”
あっという間にミモザの季節も終わりですね。
本当に綺麗です✨✨大好きミモザ( *´艸`)
因みに私は
通常、鑑定の際に「その方の忌神が誰か」はお伝えしません。
必要ないことはお伝えしない主義です。
お聞きになりたい方は鑑定の際に直接お聞きください。
守護神が「義母」って言う人もいるからね?
「嫁」とかね。
ちょっと微妙だけどね(;^_^A