ないものねだりで頑張ってみても最後には「あれ?」となる話。

こんにちは、さなです。

 

暑い・・・(-_-;)
暑過ぎる・・・(;’∀’)
お盆の連休に突入して二日目。
本日のさな地方、38.2℃🔥🔥🔥アヅーーーイ

ちょっとした発熱状態ですね。
もう危ないので外出不可です。
近くのスーパー行って帰ってくるだけでヘロヘロです。
(車で行っているにも関わらず)

お陰で日々勉強の深掘りができていいのですが
あまりに動かないので体がなまりまくりです。
家の中でラジオ体操やら太極拳やらに励むのですが、
これで良いのでしょうか?笑。

♦♢♦♢♦♢♦♦♢♦♢♦♢♦

さて今日は

人って何でないものねだりするんでしょうか?
っていうことについて。

まぁ簡単に言えば
「自分に持っていないものは欲しくなるのが人情」
という事なんですが(話が終わってしまうではないか)

逆説的に言えば
人と言うのは自分が持っている才能になかなか気がつかないから。
って言う話に繋がります。

人間ってさ
自分が生まれながらに持っている才能ってのは
簡単に使えちゃうものなのですよね。
そりゃもぅ無意識のうちに。


人に「すごーい!そんなことが出来るなんて!」と
褒め称えられたりするんだけど
「え?これすごいの?別にフツーに出来るでしょ?」となる。

いえいえ、出来ませんよ?
それがフツーにしれ~っと出来るのは
あなたの才能なのだという事に気づいてください。

いやそれが結構気づかないもんなのです。

そしてその「いいな~憧れだわ~」と
自分もそれやってみたくなる。
一生懸命やってみる。頑張ってみる。
ある程度は上手くいく
けどそれを続けるのがマジしんどくなってくる。

「あれ?」ってなる・・・

こんな経験はありませんか?

いいんです、それで。
やってみなければ分からないんです、人生は。
その「羨ましい!私もそんな生き方がしたい!」と
無我夢中でエネルギーを燃やして頑張って
「これだ!私の生きる道は!!」と輝く時代を経験するってことは
ものすごく価値のある事だと思う。

それがたとえ
その人の才能や与えられた宿命と反する事でも、
あるタイミングで「あれ?」と気づくことが大切なのである。

これ違うんじゃないだろうか?
私の生きる道はこっちじゃない気がする・・・

そんな風に思い始めたら、
それはきっと方向転換のタイミング。

私にもあった。
明確にあった。
だからこうして今がある。

自分が夢に描いた憧れの世界で華やかに活躍していた時代、
楽しかったけど苦しかったんですよね。
何ていうかもぅ水面をアップアップしながら毎日を生きていた。

それでもこここが私の居場所だと言い聞かせて
これ以上に私が活かせるステージはないと信じて
必死で頑張っていたのよね。

算命学を学んだ最初の頃は
「なんて無駄なエネルギーを使ったんだ。
あの14年の歳月とエネルギーを返せー!」と思ったけど、

違う違う、そうじゃない。
と、数年後にストンと腑に落ちた。

これは私にとって
必ず経験が必要だった14年。
どこに「無駄」と言う二文字があろうか?

♦♢♦♢♦♢♦♦♢♦♢♦♢♦

長くなりましたので
続きは深掘りの内容と共に
オンラインサークルの方のブログに投稿します。

 

要するに
人間って自分に携えていないモノには
無性に憧れたり
それをさも出来るかのようにやってみたくなるもんです。

才能として持っているものはフツーに出来てしまうので
それがそもそも才能だって気づかないし
最後にゃ「私って何もできない・・・」ってなっちゃう。
本当はみんなすごい才能持ってるのに。

結論は当然、
自分が持っている才能を生かした方が断然ラクだし
お金も稼げる、認められやすい。

でもそれに気づくためには
回り道も必要だと思うんですよね。

結構若いうちから自分の才能を発揮している人たちは
本当に素晴らしいんだけど、
やはり人それぞれ与えられたモノが違うので、

「お前、もっと勉強してから出直せや」

って言う場合もあるんだよね。
(多分私はコレだったんじゃないかな、と笑)

そして
若いうちは「憧れ」を追いかけることも
とことんやってみるべき!と言うお話です。

それが自分の才能や宿命のものでなければ
いずれ「あれ?」と思う時が来る。
それまではがむしゃらにやってみてもいい。

才能・宿命を云々言う前に
まず大切なのは「自分がどうしたいか」です。

その「どうなりたいか」の情熱を
一番大切にしてください。

誰しもみんな
大輪の花を咲かせることが出来るんだよ~!

 

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